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"Will computers replace teachers? " 
コンピュータは教師の代わりになるか?
(Clayton Christensen Institute 2013年8月発表の資料より)  

イノベーションやテクノロジーの熱狂的な信奉者の中には、eラーニングが教師の役割をするようになるだろうと言う人がいる。インターネットでの情報アクセスやオンライン/アダプティブ学習の発達により教師の陳腐化が進むだろうとの予測である。その一方で、優れた教師の重要性を肯定する研究も数多く発表されている。2つの主張のどちらも多かれ少なかれ重要な点を見逃している。
コンピュータが教師の代わりを務めるようになると言う人々は、教職を単なる指導と評価の仕事だと考え、教師が行う仕事の幅広さと複雑さを無視している。コンピュータは、生徒の学力に応じて的確な問題を出したり、生徒の基本知識の理解度を判定する面では性能が向上してきている。しかしながら、優れた教師は単なる情報提 供や基本訓練をはるかに凌駕する仕事をしている。例えば、生徒が学習内容を分析・整理して他の科目や現実世界に応用できるように様々な活動やプロジェクトを通じて指導する。また、学生の批判的・創造的思考力を伸ばすために個別に定性的なフィードバックを提供する。生徒の頑張りを認めて学習成果が実社会と関連させて生徒のやる気を引き出すような教室の雰囲気作りをする。さらには、すべての生徒が人生の成功に必要な資源と支援を受けられるために必要なことは何でもする。これら人間的な側面は、今すぐに機械によって置き換えられることはない。
一方、伝統的な教師の重要性を強調する人々は、現在の画一的な集団授業モデルでは優れた教師を十分に確保することが難しいことを認識していない。教職の奥深さと複雑さのために、ほとんどの教師が業務のすべてを手際よく処理することができなくなっているという現実を見落としている。教師が期待される仕事は、一日何時間もの授業の計画を立てて実行し、生徒の学習活動を統率し、生徒の成績を集計して評価し、効率的かつ効果的に教室での手順を実装し、多様な生徒のニーズに応じて異なる対応をすると同時に、生徒の予期できない行動にも的確に対処することである。さらに、保護者と緊密な連絡を取り、生徒に社会的・心理的な支援を提供し、放課後の補習を実施し、クラブ活動を後援し、スポーツのコーチも兼ね、学校・地域行事を開催し、かつ学校の多くの管理業務に携わることも含まれる。

これらの業務全てに対応し、一つひとつの業務を的確にこなす時間・体力・能力を兼ね備えている教師などほとんどいない。従って要求された成果を上げる教師が非常に少ないことは当然の結果とも言える。優れた教師がマスコミなどでよく取り上げられるが、彼らの成果を持続し、同じような実績を他でも実現することはほとんど不可能である。19世紀から続く集団画一授業モデルは、21世紀の要求に応えるようには設計されていないからである。
実際、従来の教育は過去の産業経済の仕事に生徒が適応するように設計されていた。この目的を満たすために、同年齢の生徒に対する全員一律の指導を通じて均一に処理するように教育制度は構築されていた。これまでは、コースに合格して無事卒業し、仕事に就くためにCまたはDレベルで数学、理科、文学を理解すれば 事足りたので、全員一律の指導でも容認された。これが当たり前だった時代には教職は無理をしなくても遂行可能な仕事だったかもしれないが、今日の知識経済 においてはそのような前提はもはや通用せず、教職は超人的な仕事になっている。

優れた教師を十分に確保するには大きな課題があるが、解決策も見えている。ブレンディッド・ラーニングを導入して実験している教育者、革新者、そして起業家は 授業の形態を全面的に再設計している。伝統的な授業形態のまま単に教室に機械を持ち込むのではなく、教師の役割を変革し、生徒主体の学習を促進し、そして教育者の影響を増大するためにテクノロジーを活用している。ブレンディッド・ラーニングは、掛け算の九九や単語の反復練習など基礎的な勉強の多くをコンピュータに肩代わりさせ、生徒の相談にのったり探索的な学習プロジェクトの指導をするなど、教師が最もやりがいを感じる業務に専念することを可能にする。
ブレンディッド・ラーニングを的確に実行すれば教師を除外するのではなく、教師にとって最も負担の大きな業務を排除できるのである。
教師を過小評価したり排除してしまうと、テクノロジーで教育制度を改善することはできない。同様に、集団画一授業モデルを転換して革新しない限り、教育制度は現代のニーズを十分に満たすことはできない。イノベーションにより教室の構成や教師の役割は今日とは大きく変わるかもしれないが、人的要素は常に重要な役割を果たす。議論を教師対テクノロジーとして単純化することは、間違った二分化である。テクノロジーが得意とする部分はテクノロジーに任せ、人間が得意とする部分では教師を上手く活用できる方法を探ることに焦点を当てるべきである。


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(2013年5月発表の資料より)


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