"Blended Learning" 必要性

私には一卵性双生児の娘がいます。二人は外見こそよく似ていますが、性格や考え方などまったく異なります。ましてや赤の他人であれば、学力や興味関心はもとより体力や集中力など、ほとんど共通点がないのは当たり前で、教育的ニーズも文字通り千差万別のはずです。にもかかわらず、日本では明治時代から続く集団画一教育がいまだに大きく変わっていません

1980年代に留学したアメリカの大学では、言葉のハンデを少しでも埋めようと教室では最前列に座るよう心がけていたのですが、背後の学生たちから矢のように飛んでくる質問と、それに対する教授のマシンガントークに挟まれて、「授業中は先生の話を静かに聞いて、板書を丁寧に書き写す」よう教育されて育った純日本人の私には、非常に大きなカルチャーショックでした。ここ数年日本でもアクティブ・ラーニングに取り組み始めたという学校が出てきましたが、アメリカでは授業中に先生と生徒が喧々諤々議論することなど今から30年以上も前に当たり前だったのです。


また20年間従事した国際金融の現場では、外国人とのミーティングになると討議内容を簡潔にまとめて報告することには優れていても、議論そのものではアメリカ人、ヨーロッパ人はもとより、中国人やアラブ人、ラテン系の人々にもまったく歯が立たない日本人を何人も見てきました。こうした経験を通じて痛感したのが、日本人特有の消極性、自主性の欠如です。

日本の学校では、与えられた教科書を使い、決められた時間割にしたがって、指示された範囲の授業を全員が同じように受ける、これが正しい勉強だと小学生から教え込まれます。これでは、一人ひとりの個性を伸ばし、自ら頭を使って考え、能動的に意見を発する人材を育むことは難しいでしょう。

21世紀のグローバル社会では、何をいつまでに、どのように学習するのか、生徒自らが主体的に計画を立て、先生はそれを側面から支援するという形が教育の主流になるでしょう。それを実現する手段が、アダプティブな学習を生徒主導で実現する「ブレンディッド・ラーニング」なのです。

教育関係者には、アクティブ・ラーニング導入による授業レベルの改善で満足せずに、もっと抜本的な学校レベルの改革、さらにはより構造的な教育制度の転換にまで尽力してほしいものです。こう言うと、「教育を急激に変えるのは影響が大きすぎる」という声が必ず上がるのですが、欧米でブレンディッド・ラーニングのような先進的な教育が急速に普及している中、日本の子どもたちだけに旧態依然たる集団画一教育を強いることは大人の怠慢なのではないでしょうか。子どもたちは成長を止めて待ってはくれません。




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